[喪] 2023-02-06.00:33
注意
この文は、我が家の猫、スミ(享年19歳)が亡くなった記録として書いたものです。 ペットを飼われている人にとってはショッキングな文章かもしれません。 特に読んでも何か得られるようなものではないと思います。 未読推奨です。
2023年02月06日(日曜日)00時23分 スミ逝去
2023年02月06日 深夜 00時33分 19年近く生きた飼い猫のスミの呼吸が止まった。
年齢も年齢なので、昨年ぐらいからご飯がちゃんと食べれなくなり、年末の大阪への帰省の時も息子と妻の3人で帰らず、妻がスミの様子を見るために残っていた。
日に日にペットシートや、ペット用おむつやらペットの介護用品が増えていってた。
しばらく旅行にもいけないねっと妻と話していた。終わりが近いことを感じながらも、とはいえこのまま数年行くのでは無いかという期待もあった。
2023年02月05日朝一番に予約した散髪に行く前に、猫がまともに段差を超えれなくなった。段差といっても爪とぎ台の土台のほんの数センチの段差を超えれなくなった。
心配しつつも私は散髪に行き、帰ってきても特に進展はなかった。昼間息子の誕生日のためのケーキを受け取りに行くついでにペットショップによって滑り止めマットを買った。
フローリングの床は老齢の猫の足腰にきつそうなので、いつも寝床にしている座布団のまわりに2枚ほど引いた。その座布団も本来は椅子の上に置いてあったものだ、ほんの数ヶ月前までは少し危なげながらもスミはこの椅子の上に飛び乗り座布団の上で日向ぼっこをするのが日常だった。本の数週間前から抱っこで持っていかないと登れなくなり、危ないので座布団だけ同じにして猫かごを買い、ついには猫かごも乗り越えれなくなって座布団だけに乗るようになっていた。
そしてついに午後、座布団からもずり落ちるようになった。ずり落ちても自分で立って移動できないみたいだ。
私はまだ正直に言うと希望を持ってた、最近数日餌を食べれてなかった、思いつきで最近食べれてなかったけど、大好きだった固形のカリカリの餌を粉末や砕いたものを食べさせられないか?と提案したところ妻が実行し、食べたのだ。最近の食欲の無さから考えると奇跡だった。さらにスミは水をよく飲む子だった。水さえ飲めば、水に何か栄養価があるものを混ぜればなんとか復帰して、「あの時は死ぬかと思ったけど長生きするもんだね」といえる時間がくるかと思っていた。
非常に嫌がっていたが粗相が多いのでつけ始めたおむつ、もうスミはおむつの付替えにも抵抗はなくなっていた。妻が夕方おむつを付け替えようとしたタイミング、久しぶりに吐いた。固形の餌がまずかったのか?と思ったが、後から考えるとあれは吐血だったと思う。咄嗟に妻が古いおむつで受け止めてそのままくるくるまとめて捨てた。
固形の餌が好きだったが、去年から軟性の餌に変更していた。固形の餌はもう一匹の猫用に置くのだが、隙きを見てちょっとスミは拝借してしまうことがあった。そしてその都度盛大に吐いていたのだ。胃からではなくおそらく腸から吐いてたそれは吐瀉物のすえた匂いではなく、排泄物の匂いがした。正直嫌だった。家の中がトイレの中みたいな匂いがするようだった。これからの長い介護生活を思うと少し嫌になったりもしたが、妻とも話し合っておむつを変えたりと少し向き合い始めた介護生活は長く続かなかった。
夕方晩ごはんを食べた後、私たちは息子と妻と私で大河ドラマを見るのが恒例になりはじめていた。
スミの体は少し体温を失い始めていた。テレビが見れる位置の和室に毛布をひき、スミと並んで寝て少しでも温めれば良くなるのじゃないかと思った。暖かくして水を飲ませればなんとかなる気がしてた。大河ドラマはちゃんと集中して見れなかった。
大河ドラマが終わり息子は寝る時間になったが、彼は少しスミの様子が気になるようだった。それでも明日は学校で早いからと息子を寝床に案内した。
妻は今日は和室で寝るかと、私と妻の簡易な寝床を用意してスミを真ん中に川の字で寝転がった。普段和室では寝ないのであまり気にしなかったが意外と寒いので、二人の寝室のベットから毛布をとってきたり、身体が痛くなるだろうとヨガマットを下に敷いていたりした。
2023年02月05日 23時ごろから吐血が始まった。最初は餌の茶色かと思ったら血だった。寝てる下にペットシーツを引いていたのでそこに血が吸収されていた。シーツを変えて、まるめてビニールに入れて燃えるゴミに捨てる。捨てて戻ってきたらまた吐いているといった感じだった。ブーという聞いたこともない音でスミは息をしていた。
日付が変わって2023年02月06日になっていた。00時07分。00時13分さらに大量の血を吐いた最近動かなくなってた身体が大きく動いて二度吐いた。00時22分細かく記録をつけながら写真も撮ってた、生きてた記録を残したかった。
まだ私の中ではこの吐いている血は悪い血で全部吐き終わったらまた元気になるんじゃないか水を飲むんじゃないかって思ってた。
00時29分、痙攣が始まった。少し息が落ち着いたしてるかしてないかわからないぐらい微かな息だった。
00時33分、息をせず目の瞳孔が開いたままになった。二人で泣いた。寝てた息子を呼びに行き、起こした息子も大きく泣いていた。
そこからは妻と一緒にテキパキと箱に入れ保冷剤とタオルを入れていた。一週間前に妻が送ってきていた近所のペットセレモニーのページを見ると24時間対応とあったので連絡を入れた。深夜1時前だったので迷惑がられるかと思ったが、深夜対応のスタッフの人は懇切丁寧に対応してくれた。少し心が和らいだ。夫婦と老猫の寝床を作っていた和室から毛布などを引き上げ、いつものベットを整えた。
初めてスミと会ったのは今から15年程前、当時まだ結婚してなかった妻と大阪のチリトリ屋(ホルモンを焼く店)に行った時のことだった。妻のカバンの中で小さく行儀よく入ってたのがスミだった。
非常に驚いた。猫をみせてくれると言っていたが、まさか店で見せてくれるとは思わなかった。また実家で飼っていた猫がいたのだけど、そちらは気性が荒くとてもじゃないがカバンに入れて連れ歩くなど到底不可能な子だった。猫とは孤高で気性が荒いものと思っていた私には二重の意味で驚きだった。後から聞いた話だが、妻が私との結婚を承諾した一つの理由としてスミが私のことを嫌がらなかったとういうのも大きい(妻曰く理由のほとんど)ということだった。そこから東京へ一緒にいくタイミングでに妻と結婚し、しばらく大阪の妻のマンションでスミと私と妻で住んでいた。
そこから東京に移り、息子が生まれ、家をさらに引っ越し。今の家に移るタイミングでほぼ全てのドアに猫ドアをつけた。スミはかなり広い空間を手に入れたと思う。食事をする場所、昼寝をする場所、夏に夜寝る場所、冬に夜寝る場所。色々渡り歩いていた。10年ほど前何故か一気に元気がなくなり始めた。年齢も10歳ぐらいで老齢に差し掛かり始め、日に日に弱り始めていた。また甘えが強く、ちょっと家を出ると、粗相をしたり、寂しくて大鳴きしたりと難しくなっていた。そこで妻から多頭飼いの話が出たのだ、保護猫を引き取り若い猫をもう一匹家で飼い始めた。最初の紆余曲折をスキップすると、スミは一気に元気になった。甘えた感じが消え、新しい若い猫を指導する側になったのだ。この変化は見てすぐわかるもので私は非常に驚きをもって妻の作戦の素晴らしさを称賛したものだった。
二匹はよくじゃれ合い喧嘩をしていた。喧嘩と行っても怪我をするレベルではない、若い猫は血気盛んで小胆で、すぐにスミに喧嘩を売っては返り討ちに合うが、中々負けを認めない。完全に腰が引けてるし、身体も倒されてるんだけどちょっかいだけは出し続ける。最後にはスミが面倒になり去っていくそんな喧嘩が日常茶飯事だった。去年の初めぐらいからだろうか、喧嘩があまり起きなくなっていった、そもそもスミと若い(この頃はもう10歳なので若くはないが)猫とで家の棲み分けが起こっており、リビングはスミのもの、夫婦の寝室は若い猫のものになっていった。決定的だったのは寝室にあるキャットタワーからスミが飛び降りた時に、うまく着地出来ずにコケてしまった辺りだろうか?目に見えて寝室に近寄らなくなった。
逝去する数日前からスミの行動範囲が増えていたことも思い出す。ここ一年ぐらいはリビングから動きもしなかったスミが風呂場の着替え場所や、普段よらない寝室にきて鳴いていたのだ。寂しかったのだろうか、朦朧としていたのだろうか?その度に抱きかかえてスミの体温が冷えてることに不安を覚えながら、体温が映るまで抱っこしていた。ふわふわだった身体はいつの間にか骨ばっていた。持つのも躊躇うほどに。まともにトイレにいけなくなっていたので、おむつをする前は小便の匂いが付いていた。服に匂いが移るのが少し嫌だった。妻がきれいにスミを洗い、匂いがましになり、また私がおむつを付け替えたタイミングでしっかりと抱っこできるようになっていた。その躊躇いの期間があったことが少し悔やまれる。
妻とスミは私よりも付き合いは長く、本当に最後まで献身的に妻はスミの様子を見ていた。本当に妻がいたことがスミの幸せだったと思う。